Tuesday, August 28, 2012

Munetada Kurozumi

He always had smile. What level or rank of Spirit and Soul of his? 黒住 宗忠:Munetada Kurozumi

_At first, we copy from Wikipedia_



黒住宗忠

黒住 宗忠 (くろずみ むねただ、安永9年11月26日1780年12月21日) - 嘉永3年2月25日1850年4月7日)) は、神道系新宗教のさきがけとなる黒住教を開いた幕末の神道家。 備前の神社の神職だった。

目次

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生涯 [編集]

黒住宗忠は、安永9年11月26日の冬至の日に、現代の岡山県に位置した備前国御野郡中野村の今村宮に仕える禰宜の家に三男として生まれる。
幼名を権吉(ごんきち)といい、備前藩から孝行息子として表彰されるほどの親孝行であったといい、「黒住の孝行息子」と周囲からあだ名されたという。神職を継いでからは、左京宗忠と改名している。
文化9年1812年8月、実母・黒住つたが腹痛のため寝込んでしまい、次いで実父・黒住宗繁も同じような腹痛となる。宗忠は懸命に看病を行なうが、次々と両親を失う結果となり、極度の絶望状態に陥り、やせ衰えて行く中で翌年の11月頃には自身も肺結核と思われる病となって寝込んでしまう。
しかし、文化11年1814年11月11日、最早最期と覚悟した宗忠は冬至の朝の太陽を浴びる中で天照太神と同魂同体となるという「天命直授」と言われる霊的体験により天命を悟るとともに、病気も消えうせ、宗教的活動を開始したと言われる。以後、様々な託宣や病者の救済を行いながら、37年にわたって各地で布教活動を続けた。
嘉永3年1850年2月25日昇天。享年71。
皇室公家の中に宗忠に帰依する者が多く、宗忠の死後、神道の権威とされた吉田家より「宗忠霊神」、安政3年(1856年)3月8日に「宗忠大明神」の神号が授けられ、文久2年(1862年2月25日に京都神楽岡に宗忠神社が創建された。宗忠神社は慶応元年1865年4月18日、孝明天皇によって勅願所となり(孝明天皇が定めた勅願所は宗忠神社のみである)、翌年2月7日従四位下の神階を宣下された。

参考文献 [編集]

  • 『生命(いのち)のおしえ―民族宗教の聖典・黒住教』 : 東洋文庫 319。道歌と書簡集、黒住宗忠 (村上重良校注) 、ISBN 4582803199
  • 黒住宗忠』: 人物叢書 歴史学者によるオーソドックスな伝記、著者: 原敬吾ISBN 4642050892
  • 『太陽の神人 黒住宗忠―その超逆転発想は、激動の時代を生き抜く処方箋』 : 著者: 山田雅晴ISBN 4884814835
  • 『哲人宗忠』: 著者: 延原大川ISBN 4896190742
  • 『眞人宗忠』:著者:延原大川
  • 『日本神人伝―日本を動かした霊的巨人たちの肖像』: 著者: 不二龍彦ISBN 4054013899
  • 『近代日本霊異実録』 : 写本のみ伝わってきた「黒住教幽冥談」を収録、著者: 笠井鎮夫
  • 宗忠講話』:「黒住教読本」(上・下)の合本に「教祖神讃詩」川上忠晶)「教祖宗忠神小傳」星島良平を加えて編集刊行したもの、著者:河本一止(昭和33年3月5日発行、大道社刊)、ISBN不明

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]




  1. 黒住宗忠画像(1/1) :: イーサン居士のインテレクチュアル - ヤプログ!

    yaplog.jp/ikeyamagou/image/12 - Cached
    ikeyamagouのブログの「黒住宗忠」の拡大画像です。 ... 黒住宗忠画像 June 23 [ Sat], 2012, 15:25. 記事に戻る · 次の記事へ · 前の記事へ · Tweet · Check ...
  2. 黒住宗忠 - プロフィール - Yahoo!検索(人物)

    talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp207968 - Cached
    黒住宗忠のプロフィール、画像、動画、ニュース、作品情報、ブログ、Feペディア(出典:Wikipedia)等、Yahoo!検索(人物)でチェック!

    www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/.../kurozumi.htm - Cached - Similar
    黒住宗忠画像. 武田五峰筆(部分) 黒住教本部蔵. 画像等の無断複製・転載・改変・ 放送等は禁じられています 詳細はこちら. 黒住 宗忠 ( くろずみ むねただ ). 江戸時代 ...



    伊勢白山 道

    blog.goo.ne.jp/isehakusandou - Cached - Similar
    2 時間前 ... 集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します.

    やらせはしない

    先週から色んなテレビ報道におきまして、3・11大震災の検証番組が放 ...

    順応から進化へ

    私たちは故人のお蔭で生かされています」(2011-04-03)昨


    カギは日常の中に [2009-12-16_______By Ise-Hakusan Dou


    近代インドの聖者、ラマナ・マハリシ=10次元。



    ラーマクリシュナ=7。


    クリシュナムルティ=6。

    老子=9。


    孔子=8。


    画家ピカソ=5。


    ゴッホ=7。


    棟方志功=8。


    ミケランジェロ=7.5。


    ダ・ヴィンチ=6。 


    バッハ=8。


    モーツァルト=9。

    黒住宗忠=8

    などなど。

    ---------------------
    [
    2008-02-01 22:43:07 | 伊勢白山道]
    ├移動: ↑
    └記事:2008-02-01 [書]



    孔子 ・・・良い魂です。 


    ただ、老子は、その上ですね。

    2人とも、日本神道系の神霊の転生者です。


    [2008-10-03 20:17:12 | 伊勢白山道]
    ├移動: ↓ ↑
    └記事:2008-10-03 [書]




    諸葛孔明は今どこで何をしているのでしょうか?

    ・・・孔子の分霊を持つ人でした。


    孔子も、孔明も身長が高かったようです。



    [2012-02-20 21:14:56 | Unknown]
    ├移動:
     ↓   ↑ 
    └記事:2012-02-20 [


    黒住宗忠氏も病人の病気を治したという話を聞いたことがあるのですが、やはり“真のヒーラー”だったのでしょうか?



    [2012-02-20 22:39:44 | 伊勢白山道“先祖供養は自己責任・自主判断ですることです”]
    ├移動:
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    └記事:
    2012-02-20 [


    。。。そうです。1回ナンボの治療をしない人でした。



    _微笑むことから始まります_
    [2012-04-27 10:29:57 | 伊勢白山道]
    ├移動:
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    └記事:
    2012-04-27 [


    何を守っているの? (2011-03-08)



    社会を観ていますと、近年から特に増えているのは、
    1.視線恐怖症(しせんきょうふしょう)の人々です。

    とにかく他人が「自分のこと」を見ている、陰口を言っているとナゼか思ってしまう心配症です。これが高じますと、次には
    2.監視恐怖症(かんしきょうふしょう:私の造語です)という、自分のすべてが常に見られている、監視されていると思い込んでいる人が意外にも多いのです。

    1番は、会社内では特に増えています。何気ない他人の会話が気になり、「それは自分のことを言っている」と思い込んでしまい、密かに心を落ち込ませている人が増えています。

    一週間ほど自分で熟考した結果、その自分のことを言ったと思い込んでいる他人に勇気を出して、何気なく「この前、誰だれさんと話していたのは、私の事なの?」と聞いてしまいますと、その相手は何を聞かれているのかも分からなくて「はあ?いったい何のこと?」と言われてしまいます。
    そして本当に陰で、「あの人、変よ」などと言われてしまい、ますます落ち込む悪循環をします。自分自身が何らかの「負い目」「先行きの不安」「寂しさ」を感じていますと、上記の心配症が出てきます。
    これは自分でよく考えれば分かることですが、「自分は監視されるほどの有名人では無い」ということを思い出しましょう。パパラッチ(有名人を盗撮して写真を売る人)も見向きもしません。
    人間とは自分自身が生きることに懸命であり、他人を注視するほどの暇人は居ません。実際に社内を見ましても、陰で言うのは上司や権力を持つ人のことは話題に出ますが、同僚やその他を話題にしたとしても、本当に大した話ではありません。

    このような心配症を感じ出した人は、「自分が守ろうとしているのは、いったい何なのか?」と言うことを思いましょう。
    このような人を観ますと、自我(じが:自分“だけ”のことしか考えない心)が強く成っているのです。

    自分が守ろうとするのは、プライドなのか?仕事なのか?何なのか?を静観して見ましょう。
    そして、それが自我(我良し)の産物だと良心が判断すれば、捨ててしまうことです。
    自分の自我を守る物事を放棄しますと楽なものです。悪口を言われても、


    「雨ふらば降れ 風ふかば吹け」(by一休) 「アホに成れ」(by黒住宗忠)
    と思い、たんたんと自分が生活するための仕事をすることです。

    そして大切なのは、「他者への行為」である感謝の先祖供養を通じて、自我を薄くすることが出来るのです。

    自分よりも、他者への思いやりと愛情を持つ練習(先祖供養)を毎日することで、無意識下で持つ自分の心の縛りが解放されます。
    これは、感謝の先祖供養の実践により劇的に改善した多くの人々の実例を、私は30年近く見て来ましたので断言します。

    要は、心身症への薬剤投与や観念論では、心の病を瞬間的には軽減できても、完治させることは出来ないのです。

    他者へ「与える行為」が、自分自身を根本から完治させます。
    供養が出来ない人は、他人や植物・動物などに「思いやり」を掛ける練習も良いです。

    最善は、縁ある身近な人々をサポートする練習です。

    仕事でも同じです。自分に具体的な形と成って反射します。

    生きる間は、いろいろと模索をして生き切りましょう。


    悩むことも、成長のための大切な体験です。
    どう自分の命を運ぶのかが大切なのです。
    (感想)
    知人と会う回数が減るだけで、「私は避けられている」「私は嫌われているんだ」と考え込んでしまう人が意外にも多いです。
    このように思ってしまう人は、すべてが「受け身」であり何かを「待つ」状態に心が成っています。能動的では無いのです。世話を「してもらいたい」状態です。

    自分で動く能動的な人は、そのように受け身で待つ知人の気配をナントナク「重たく」感じてしまいます。
    嫌いとかウンヌンでは無くて、細かいことを知人が気にすることが分かりますと、自分が気を使って細かい対応をするのが嫌に成るのです。
    基本的に前しか見ていませんので、気を使わないで済む気楽な相手と会うことに成ります。
    だから自分が避けられていると感じれば、自分が気楽に成ることが大切です。
    そして自分から能動的に成ることです。

    断られても良いから、どんどんアポイントを取って参加することが大事です。
    自分がアホになれば、相手も気楽です。

    アホと言いますと、伝説のアホである「レレレのおじさん」の原点・シュリハンドクです。釈尊の直弟子です。
    (過去記事 外部リンク )

    シュリハンドクが悟りに至る過程には、「受け身の行徳」がありました。
    ハンドクの周囲の人間は、ハンドクに自分のストレスをぶつけてもいました。


    ハンドクが怒らないことを良いことに、イジメもあったのです。要は、気を使わずに済むハンドクが気楽だったのです。
    ハンドクはこれを「受け流し」ながら、ひたすら「明るく」ゴミ掃除を遂行しました。
    その中で、「一寸の虫にも五分の魂」が宿るがごとく、低い知能でも見性(けんしょう:内在神に目覚める)したのです。
    イジメられて、イジメられて、その中で真理を見るのです。明るく遂行したことが、その条件でした。

    要は、イジメられたり、イジワルされることも、明るく流すことがもし自分に出来れば、これも相手を癒した行徳の磁気が自分に堆積して、見性(幸運)を後押しする因果と成るのです。すべてに一切のムダは無いのです。

    自分が受けたことは、その反射が必ず色んな形で起こります。

    自分がアホに成って、何でも「明るく」挑戦することが人生には大切です。

    そして自分が気楽に居ることが、他人を引き寄せます。
    釈尊に人々が寄って来たのは、側に居るだけでリラックスして微笑むことが出来たからです。教祖のように威張った厳しさが、まったく無かったのです。
    正座せずに足を崩してあぐらをかきなさいと、ただリラックスして座ることを釈尊は言いました。
    釈尊の無言の微笑みが、人々を引き付けて癒しました。

    私たちも、日常の中でまず微笑むことから幸運が来ます。
    友人が欲しければ、気楽に微笑みながら人々にアポを取る・参加することです。そして断られても、アホは「追求しないし」・考え込まないのです。


    黙って微笑んでいるだけで、その気楽さが他人を引き寄せます。

    明るく生きて行けば、すべては大丈夫(彼岸)へと至ります。


    生かして頂いて ありがとう御座位ます




    意外な視点で本質が観えます
    [2012-02-01 11:14:11 | 伊勢白山道]
    ├移動:
     ↓   ↑ 
    └記事:
    2012-02-01 [


    「分からないからこそ努力できる」(2010-12-23 
    外部リンク )

    天皇陛下が御誕生日を御迎えになられました。今の日本には一番に欠かせない人物です。

    私は思想的なこだわりは無く、政治にも疎(うと)いのですが、霊的な視点で観て天皇陛下を非常に尊敬しています。
    今の天皇陛下からは、まさに神界の匂いがします。とても懐かしい匂いです。
    このような御方が、反対勢力が居る日本の中でも、日本の象徴として存在するとは奇跡です。
    歴代天皇の中でも今の天皇陛下は、神界での御魂(みたま)の位が高いエナジーが転生されています。ここ千年間でも、10人の中に入るぐらいの高位だと感じます。

    私の神示でも示されるのは、とにかく宮中での神事を徹底して真面目にされているようです。近代の天皇の中では、一番に愚直(ぐちょく)なまでに真面目だと感じます。
    このことは後年になれば、元側近からのエピソードとして色々と開示されることでしょう。

    なぜ陛下が、ここまで神事に真面目なのか?


    それは、神様のことが分からないからです。

    分からないからこそ、真面目に尽くすのです。

    それは、国家と国民のタメだと言う思いからです。

    ”神が分からない”とは、とても大切な態度なのです。人間が見切れる神とは、それは神では無いのです。

    人間が会話できる存在は、神ではなく、人間以下だと言うことです。

    その大半は、欲心が変化した動物形象です。

    もし陛下に対して、「神とは何ですか?」と質問をすれば、とてもお困りになられるでしょう。
    その理由は、神について説明ができないし、口にするのも畏れ多くて嫌な感じがするからです。


    神道には、”言あげせず”という、暗黙のルールが古来から在るのです。

    ”言あげ”つまり、神を説明したり、押し付けたり、

    宣伝することはしないから、

    「受け取り手」が自分で判断して欲しいという

    潔(いさぎよ)さが在るのです。

    個人の自主性と神縁に任せるわけです。

    宣伝して非常な営業努力をする集金教団が多い時代でも、伊勢神宮は黙ったままで自然と参拝者数の記録更新中です。


    全国の氏神も、再生と掃除が進んでいます。


    まだまだ、日本には大自然の精霊たちが現存している証拠です。

    戦争や階級差別で苦労をした人間は、

    人間は平等だという理念のもとで色々な考えが在るようです。

    その気持ちも分かりますが、

    やはり役割分担というものが人間界には有ります。

    2千年以上も継続して国家の国魂(くにたま:国土の精霊)へ、国民を代表して感謝をする役職である「天皇」という存在をもし無くせば、霊的には大変な事態に国は必ず成ります。
    そんな非科学的なことは、やってみないと分からないではダメなのです。そんな冒険を試させては絶対にダメです。

    天皇の権威が低下しますと、日本の戦国時代を見ても、現代の外国の大統領制にしても、強い者勝ちの騒乱が水面下で必ず発生します。

    私の感応では、天皇陛下はロックフェラーやロスチャイルドなどの世界的な組織とも友好を持たれていると感じます。
    陛下の内心は、自分を犠牲にしてでも国家と国民の存続のために友好されていると感じます。今までの日本の安定は、近代2代の天皇陛下による隠れた水面下での外交努力の御蔭だと本当に感じています。


    平成の時代が始まった年に、伊勢神宮が保有する田んぼにおいて、「イセヒカリ」と言う新種のお米が発見されています。
    何十年もコシヒカリを植えていて、突然に産まれたのです。
    それも台風通過で、神田(しんでん)の稲が全部倒れた中に立っていたのです。最新科学でも、遺伝子組み換えでの品種改良は難しいのです。


    新しい天皇が即位する年に、伊勢神宮で新種の稲が発見されることが何回か起こっています。この前回は、内宮の御正宮の御垣内で発見されていたと思います。
    まさに天照太御神が、天孫(てんそん:神様のまご)が誕生した年に、”孫の印”として新種のお米をプレゼントされているのです。
    お米を太陽神から授かった今の天皇陛下が長生きされることを、心から思います。

    (感想)
    私が好きな江戸期の神人である
    黒住宗忠さんは、伊勢神宮に向かう旅先で同宿した他人から、
    「あなたの信じる神の名前、守護神の神名を教えてください。」
    と言われました。しかし、黒住氏は、その騒々しい場では答えませんでした。


    翌朝、その問い掛けた人物の前に、黒住氏が紋付袴姿の正装で現れて正座したうえで、
    「私が信じる神の御神名は、天照太御神です。」と返答されました。
    (江戸期までの長い世紀において、伊勢神宮では御神名に「太」の文字を使用し続けましたが、明治以降に「大」と改変される革命が起こっています。明治天皇の号令です。

    また、太陽と一体化する体験をされた黒住氏は、

    太陽の「太」を必ず御神名に使用し、

    アマテラスオホミカミという「オホ」の読みを必ずされました。

    実体験した者だけが分かる境地からです。

    神宮の古文献でも、明治以前までは「オホ」のフリガナがあります。
    参考記事: 
    外部リンク )

    このエピソードの意味は、無闇やたらに御神名を披露しないということです。

    御神名を口にするならば、それなりの敬意と覚悟を持ってするということです。
    これは霊的にも非常に正しいことであり、古代エジプトで繰り広げられた魔術合戦でも、相手の信じる神名を知ることが大事なカギとされています。

    つまり、ナントカ大神がどうのこうのと軽々に言う悪徳な有料先生には要注意です。ニセモノの動物根性ほど、御神名を乱用して権威付けをし、自分の無能力さを隠そうとします。ここに、すでにシッポが出ています、笑。

    天皇陛下が、公の場において御神名を発声されることは、これからも無いでしょう。


    密かに敬意を持って、心中で思うべき聖なる言霊であり、

    神の言葉だからです。

    御神名には、その神気が凝縮されています。

    アマテラスオホミカミの太祝詞(フトノリト)は、心中で思うか、一人で発声するべき聖音です。集団で発声するべきものではありません。

    祝詞の奏上も、神主が一人でするべき神言(進言)であり、集団でするものではありません。
    ナントカ祝詞を集団で奏上する所があれば、その代表者をよく静観しましょう。

    古事記を見ましても1つなる根源の神から、いろいろな神々が分派発生しています。
    下に行くほど、御神名に個性が表現されています。
    つまり、個性を持つ次元の神様を信じるのか、名前も無い根源の神様を信じるのかが、これから大切な分岐点です。


    今までの世界の戦争を見ましても、その背景には信仰の問題が隠れています。
    神の名前を超えた1つなる神様に思いを寄せる必要があります。それは、各人の内在神なのです。
    人間は、最高神を宿すから生まれて来たのです。名無しの神様に名前を付けるのは、個性の発生であり、自我の誕生でもあります。
    自我が増せば、国家同士では戦争になります。名前が付けられることで、区別と差別も起こります。

    天皇とは、個人の名前を捨てた公の名称です。
    自分自身を世界のために捧げ、公のために尽くされる神人の名称です。

    このような天皇という太古からの伝統を現代まで存続させることが出来たのは奇跡であり、これは神様の神意なのです。
    これを維持できる住民かどうかが、この日本列島という大龍体に人間が住むことが許されるか否かが問われることに、これから成ります。

    日本人が天皇を維持し、自分の内在神を意識すれば、すべては治まって行きます。


    生かして頂いて ありがとう御座位ます