Friday, March 15, 2013

神言会−上野公園様の記事−◯十の意味、???。みのおわり故?。

1人の意識が万人に伝わる力は言霊の力と同じ。
1人の周波数変化は多くに影響する。


今晩和。


楽しく、そして御目出度いことに、3月15日の前に、実香道でありながらも素三蘇でありましたのを

実香道の寿実蘇に改めましてから、心のままに感応のままにブログを一新いたしました。

そして迎えています3月16日に、ふと思うままに訪れたブログに楽しい記事を見つけて喜びました。


わたくしと同じように、多くの人が変化の喜びを得ていると信じます。



身の終わりとは、終わり永久(とわ)出蘇。


200年来、闇が築いた物質社会の終わりが確定したのです。

 
◯は大宇宙や地球という宇宙であるなら、十は確かに戸であるでしょう。

そして十の水平線は、物質の恩恵=新たな社会=霊主体従=富士山の新生です。


もはや今までのクロス(黒巣)=バチカンと英国ウインドザァは力を失っていることを示しております。

これで、「一般凡人の我々がくろうする」社会も終わることになりました。


新たな次元世界へと、門戸を開けて踏み込んだのです。スターゲートをくぐったとも云えます。

蘇太(田)在 気絵十(都)への言霊変換が素晴らしいでしょう?

他にもまだ出てきそう。出るは山が二重ですね。上の山と地球内の山かしら。



記事には「女子」という言葉が出てきますが、これは上のように富士山の新生を軸にして思えば


コノハナサクヤ様の御力が、肉体の限りを超えて、


顔の美醜ではなく心の美醜が問われる世界へ入るようにと、万人を改心させるのです。


イワナガ様も、コノハナサクヤ様の分身分魂であられた気がします。

つまり
あの時代の男神が心ちがいを侵したので、女の心の強さ、芯の強さというイワナガを拒否して、人形のような美を求めたのだろうと想像できるのです。

芯の強さとは、心の中心の鬼を云います。

これを嫌ったのは心ちがいをした男が、強い女を嫌うと同様です。

ところが、そんな男は窮地に陥ると、強さを女に求めるという、身勝手さ。

こういうエゴの男性意識遺伝子が改革されるでしょう。


新たな家庭和合を中心にした地域社会などを形成する愛力が出現する世界になると云えます。


わたくしは母親の真実なる愛=母性愛の復活による新世界の始まりを示すと見ます。


母性愛が出るのです。真実の母性愛とは鬼がきちんと座してあってこそ、それを男さん方が喜んでこそ


鬼が観音様であり弁天様であり女神様であることが解る世界になるのです。


鬼が晴れて隠忍でなくなる世界が到来するのです。

鬼は、きちんともの申し言います。松明という灯りを高く上げるのです。

奥ゆかしさ。こういうものは岩戸の向こうに押し込める偽の道徳なのです。


岩戸開きには、多くの意図があります。楽しみです。


そう思えば、米国と日本語に変換されたアメリカが、自由の女神を奉じるアメリカ/亜女理家が


多くが思う非難される国ではなく、

やはり闇に植民地化されてきた(頭脳と心の美をはぎとられてきた)
独立を目指した人々によって建国された女神の国であることが解っていただけると思います。

なぜ米の国という文字と意図を与えられたのか。

それは神意であると、わたくしは信じております。

その一つの印しは、米や寿司を食する人が増えていることです。

寿司は、まさに寿を司るのです。言霊です。

しかも、このアメリカで、インサイド アウト ロールが生まれたのです。

これは
心が外側に出て来る暗示だったのです。心の芯が出るのも解禁となったのです。

食は思考なり。そして、やはり事霊です。

食事霊です。しょくことだま。

九十霊とも、わたくしは見ています。


そして忘れないでください。アメリカは日本と古代からつながる原住民が魂を注いだ大地を東西南北、四方八方に包括する大陸なのです。


白人の子孫だろうと、そのネイテイブ等の魂を授かって誕生している方も多くいる。


そのことを信じてみれば、次のことも信じられるでしょう。


ワシントンさんのヴィジョンに連鎖します。

霊的な洪水によって流されたなら、闇側が消えた後のアメリカも、女神様を奉じる国として日本と和合し歩む国として、立ち直ることでしょう。


山のように豊かな、あの棟方志功さんの版画の観音様の乳房のように


豊かな二つの乳が赤児に満々と乳を与える世界が到来するのです。


アメリカの自由の女神様も、必ずアメリカを満々と世界に与える国にしてくださります。


今までの多くの犠牲と忍耐が報われます。必ずや地上の天国を見て体験するのです。


闇勢力は消えたのです。



御紹介します。http://kamikotokai-b.jugem.jp/



〇十の意味、???。みのおわり故?。

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その私に突然、変な映像が出て来ました。それは地球を赤道で半分に切った映像なのです。そしてその中心に一人の女性が立っている。
まさに?、?、?です。

それを図にしてみます。
なお、この図は天体望遠鏡で天球を見る時に考えるものです。それを地球で考えまし
た。


私達は方位を考える時、【東西南北】で考えます。

その場合、北極が北で、南極が南です。ですから【東西南北】が成立します。つまり、円球を縦に切って考えていることになります。東西天地も同じ事です。
また、時計を考える時も「東西南北」で見ているわけです。

だが、横に切ったら、どう表現すればいいのでしょうか?。
東西はあっても、他の呼び方が見つかりません。
そもそも私達には横を赤道で切る見方を知らないのです。

私達の魂(玉思惟)も円球です。その魂の真ん中には「核」が存在します。
その核は、天帝からの分魂で「人に内在する良心神」となります。

横に働く時は瑞霊で「女子」と表現します。主の「娘」です。
縦に働く時は厳霊で「男子」と表現します。主の「息子」です。

横に働く時は瑞霊で「救世主」の意味を持ちます。
縦に働く時は厳霊で「裁き主」の意味を持ちます。

その「女子」が立ったということのようです。

 
〇十の寿(青)記号.jpg

私は〇十の記号を出しました。だが、その意味が完全に飲み込めているわけではありません。大本教神諭に【薩張(さつぱり)】で改めるとあります。この「薩張」は明治維新の「薩長」連合がかけてあります。その一方の「薩摩の旗印」でもあります。

PC上にはUnicode; U+2D32にありますが、ブログ上は難しい面があります。俗に地球を意味する天文記号としても使われています。しかし、私もそれ以上の感覚は持っていませんでした。

寿のス神 最後の時は十三(富)山に逃げなさい

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大本教が世に出した「ス」の神。この「ス」の神は新神道系の宗教では【主】の字が「ス」と読めますので、「主神」と書いて「ス神」にしています。確かに解り易いですね。

大本教が「ス」神を出した時は、「いろは歌」の終わりは「ス」で、全ての言霊の始めも「ス」の言霊だった。つまり、言葉はスースースーから始まったです。そして西洋で言うところの「始めにして終わりの神」に当たる。こんな論理だったのです。
そして出口王仁三郎聖師が自分は「素戔嗚尊の魂」だと称されたことから、その素戔嗚尊の最初の漢字が【素】で「ス」神。【素】は分解すれば「主の糸」で、それが主の意図(糸)だと考えた方が多かったようです。

特に大本教が出した○の中に黒丸の記号。あれは「マルス」の意味で軍神のことだと、間違える人が後を絶たないことでしょう。かく言う私も、最初の時は「マルス」かなと思ったこともあるので他人のことは言えません。
だが、漢和辞典を調べていて、あの記号は「米」を計る意味だと解ったしだいです。米の検査では、袋にあの記号が打たれます。だが、さらに調べると【良】の漢字の源と出て来ました。

私は神言会のHPを出しておりますが、最初はHP形式ではなくてプレゼンテーション方式でした。それから少し経ってHP形式にしたのですが、それが書き上がったのは西暦2005年(平成17年)の正月でした。私に最初は青い玉に白十字の紋が降りて来ましたので、それを神言会のマークとしましたが、すぐにあるマークが私に降りて来ました。
下記のマークです。大本教霊界物語に、〇に十字は弥勒の神の御紋章というものがありますが、単に〇に十字では何の意味が解りません。



私に出て来たのは○に十字でも俗に言う【薩摩紋】です。ところが、その下に【寿】の字が入っていたのです。寿とは、一般的に「祝い」として使われる言葉です。そして長生きを意味するのです。ですから、「寿の命」で寿命と言います。貴方の寿命は尽きたなどと。

現代の私達は根本的な忘れものをしていたのです。

それは
【寿命】の言葉でです。

すなわち「ス」の命です。

そして薩摩紋とは、薩摩は薩摩芋。芋を「十三里」と言います。つまり、「十三」の「す」は、「寸」の字から起きるのですが、その「寸」が入るのが「寿」の字です。

が,寿とは「言葉を吹く」から「ことふき」であり、言葉で神をお祝いするで祝詞となるわけです。

これだと「ス」神の意味がガラリと変わってしまうことになります。


大本教の出口王仁三郎聖師が出された「ス」の神論は、「素」しか頭に浮かばないのであれば、神の計画書が見えてこないとも言えます。

だが、当時は私は何の意味かさっぱり解りませんでした。解らないままに、HP上で神言会のマークとして出してはおりました。

西暦2012年一杯で「米」の教えは終わった終わったという意識が私を支配していましたが、西暦2013年に入ってから私に出て来るのは、「みのおわり」に入ったという意識でした。たぶんの話ですが、「巳」の年としてはこれが最後の年なのかも知れません。次の「巳」の年は無いのかも知れません。

為に「ラ」神論から、今度は「ス」神論に戻す必要が出て来たのです。このス神論は,素(ス)神論ではなくて寿(ス)神論なのです。
神の千年王国ではなくて神の「万年王国」に向かってなのです。
人の寿命は「万歳」となりますただし、今の私達の肉体は万歳用ではありません。万歳も持ちません。別の肉体が必要とはなるでしょう。
大本教の出口王仁三郎聖師は「亀岡」の方だったので、「亀」で「万年王国」の演技だったのかも知れません。

一度、大本教基本宣伝歌にあります【三千世界一度に開く梅の花。開いて散りて実を結ぶ】。これが来るのです。

なお、私が今回掲げています「神紋」は、薩摩紋でも「青色」です。これは私に降りた神紋ではなくて、ある【観音様】がこの神紋を額に掲げておられました。私にはその観音さんがどなたなのかは解りかねますが、救世観音様なのかも知れないと思いまして、出してみたしだいです。

単に「ラ」神論、「ス」神論に囚われてしまいますと、人類の上にその姿を見せておられない創造神が何を考えておられるのかが解りません。

薩摩紋は、天文学で言うと【地球記号】です。青い地球?。それは私達が今住んでいるこの地球とは限らないのです。別の地球(まだ人類が住んでいない地球)に移行なのかも知れないのです。

ヨハネの黙示録。【私は新しい天と新しい地とを見た】。


だが、地球記号が【薩摩紋】とは、

知らぬ仏のお富(十三)さん。


みのおわり(美濃尾張)より、

富(十三)山は国道「四十一」号線の終着


富(十三)山に逃げなさい

ス(寿)神に向かうは、主の存在を信じる心

大本教、出口王仁三郎聖師のス神論は甦る。

だが、肝心要の女子が見えていません。





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