あなたの依所(よりどころ)は、何んですか。
あなたが安心して身を寄せられる安住の地は、どこに在りますか。
このブログに初めて来られた方は下記リンクより先にお読み頂く事をオススメ致します。
温故知新・2012年アセンションに向かってブログ
私の記事の転載・引用は全て許可無くお使い下さって結構ですが、1つのお願いとして記事ブログリンクを明記して頂ければと思います。
真実真理探求の旅は、求める事ではありません。
こう書くと、人によっては「探求とあるように求めなくて真実真理が分かるわけがないじゃないですか?」と思われるでしょう。
しかし、そんな信念をお持ちの人がいたなら、ほんの少しの間その信念を脇に置いてこの先を読んでみて下さい。
求めようとする心こそが、探求の道への最大の障害だという事を仮定して下さい。
私はある時、神に問いかけました。
「私は地球人類のために貢献したいと決めています。さらに効率よく人々に貢献する為には、私の中のどんな所を変えればいいでしょうか。
私は、まだまだ自分が到らない人間である事を充分に知っています。
自分には、いくつかの欠点があるのではないかと思います。
しかし、残念ながら私は自分の改めるべき点に気付いていません。変えるべき欠点があればどんな事でもお教え下さい。
ご指摘された問題点を必ず改めたいと思います。」というものでした。
私は、その時まで人は誰でも改めるべき欠点を持っていて、それを改めた時に人は悟る道を歩み始めるのだと考えていました。
しかし、返ってきた答えはこうでした。
「あなたに改めるべき点など何もありません。人に、欠点というものは存在しません。
人にはそれぞれ異なった特質が備わっており、その特質を役立てたとき人々はそれを長所と言い、特質を活かしきれなかったときその現れ方を欠点と言います。
長所、短所は一つの特質の裏表です。
ですから、あなたに改めるべき点など何もありません。
ただ、1つだけあげるのであれば、あなたの「改めなければならない点があるという考え方」だけです。」と返って来ました。
私は、その言葉を素直にそのまま受け取り、「ああそうか、私には変えるところなど何もないのだ。
このままでいいのだ。
これでいいのだ!ボンボンバカボンバカボンボンなのだ!
何かを変えようなどとせず、単に人々に歓びを創造し続ければそれでいいのだ。」と解りました。
そして、ニュートラルの状態で旅をする事でいいのだと。
ここで言う旅とは、日々の行いの事です。
多くの探求者は、何らかの方法で真理を知りたいと考えます。
解脱したいと考えます。
しかし「したい」とは「私はまだ今現在悟っていない」という信念に基づいているという事です。
その信念が、自分はまだ悟りの道を歩いていないという現実を生み出しています。
その考え方が・・・。
今駄目なものは、永遠に駄目という事です。
現実は、今にしかないのですから。
「まだダメだ」とは、「私は今悟っていない」という思いを出し続けているという事です。
今も、次の瞬間も、そして又その次の瞬間も、永遠に。
「それは知っている。聞いた事がある。私も人にはそう言っているのだが。」と人は言います。
「頭ではわかっているのに」とエゴがあなたの口を動かします。
瞬間そんな思いがわき出してくるため、それが自分の本性だと勘違いしています。
そうつぶやいているのは、本性ではありません。
単に、あなたの過去の記憶に反応しているだけなのです。
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こう書くと、人によっては「探求とあるように求めなくて真実真理が分かるわけがないじゃないですか?」と思われるでしょう。
しかし、そんな信念をお持ちの人がいたなら、ほんの少しの間その信念を脇に置いてこの先を読んでみて下さい。
求めようとする心こそが、探求の道への最大の障害だという事を仮定して下さい。
私はある時、神に問いかけました。
「私は地球人類のために貢献したいと決めています。さらに効率よく人々に貢献する為には、私の中のどんな所を変えればいいでしょうか。
私は、まだまだ自分が到らない人間である事を充分に知っています。
自分には、いくつかの欠点があるのではないかと思います。
しかし、残念ながら私は自分の改めるべき点に気付いていません。変えるべき欠点があればどんな事でもお教え下さい。
ご指摘された問題点を必ず改めたいと思います。」というものでした。
私は、その時まで人は誰でも改めるべき欠点を持っていて、それを改めた時に人は悟る道を歩み始めるのだと考えていました。
しかし、返ってきた答えはこうでした。
「あなたに改めるべき点など何もありません。人に、欠点というものは存在しません。
人にはそれぞれ異なった特質が備わっており、その特質を役立てたとき人々はそれを長所と言い、特質を活かしきれなかったときその現れ方を欠点と言います。
長所、短所は一つの特質の裏表です。
ですから、あなたに改めるべき点など何もありません。
ただ、1つだけあげるのであれば、あなたの「改めなければならない点があるという考え方」だけです。」と返って来ました。
私は、その言葉を素直にそのまま受け取り、「ああそうか、私には変えるところなど何もないのだ。
このままでいいのだ。
これでいいのだ!ボンボンバカボンバカボンボンなのだ!
何かを変えようなどとせず、単に人々に歓びを創造し続ければそれでいいのだ。」と解りました。
そして、ニュートラルの状態で旅をする事でいいのだと。
ここで言う旅とは、日々の行いの事です。
多くの探求者は、何らかの方法で真理を知りたいと考えます。
解脱したいと考えます。
しかし「したい」とは「私はまだ今現在悟っていない」という信念に基づいているという事です。
その信念が、自分はまだ悟りの道を歩いていないという現実を生み出しています。
その考え方が・・・。
今駄目なものは、永遠に駄目という事です。
現実は、今にしかないのですから。
「まだダメだ」とは、「私は今悟っていない」という思いを出し続けているという事です。
今も、次の瞬間も、そして又その次の瞬間も、永遠に。
「それは知っている。聞いた事がある。私も人にはそう言っているのだが。」と人は言います。
「頭ではわかっているのに」とエゴがあなたの口を動かします。
瞬間そんな思いがわき出してくるため、それが自分の本性だと勘違いしています。
そうつぶやいているのは、本性ではありません。
単に、あなたの過去の記憶に反応しているだけなのです。
あなたの依所(よりどころ)は、何んですか。
あなたが安心して身を寄せられる安住の地は、どこに在りますか。
このブログに初めて来られた方は下記リンクより先にお読み頂く事をオススメ致します。
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今朝の東京では、日暈(ひがさ、にちうん)が出ましたが、ご覧になったでしょうか?

私がまだ20歳の頃に宇宙からの黙示録の著者である故渡辺大起さんは、この日暈の事を「天のしるし」とおっしゃっていました。
今では、日暈を見てもあれは暈は雲を形成する氷晶がプリズムとして働き、太陽や月からの光が氷晶の中を通り抜ける際に屈折されることで発生するんだと普通に説明する人がほとんどなのでしょうが、おそらく悠久の日本人であれば「これは神の御技」だと単純に喜んだはずです。
日暈1つとっても、現代では失われたものが多い事に気付かされますね。
この現象を単に天体現象として捉えるのか?もしくは、悠久の日本人の様に捉えたのでは精神波動に与える影響は雲泥の差があるのです。
私事ですが、昨夜は久しぶりに心の友5人と再会しました。
徳島から来たK大佐・愛媛から来た伝統工芸家のM夫妻・名古屋から来たA宮司とS和尚の5人です。
当初は、徳島のK大佐だけ会う予定だったのですが、他の4人も急遽仕事や所用で全員東京に来る事になり5人揃ったのです。
そして、朝に出た「日暈」。
まさに、5人と再会出来た事を天に祝福されている様な感じでした。
みなさんは、前日前夜、又は今日に天のしるしが出された事と結びつく出来事はありましたか?
私達日本人は、悠久の頃から神の御技である自然現象に対して、もっと純粋でスピリチュアルに捉えていたはずです。
お忘れの方は、是非思い出して見て下さい。
貴方のDNAが目を覚ますはずです。
さて、前記事の続きです。
エゴイズムの独り言(心のつぶやき)は、自分の本質を知る機会を失う事があります。
その想念が、何処から来ているのかが分からない時には尚更です。
「そんな事はわかっています。」と言っても本質はなかなか見えていません。
自問してみましょう。
そんな事はわかっていると、自分が言える理由は何でしょうか?
それは、自己満足・自我満足に過ぎません。
人は、小さな自己満足と引き換えに大きな気づきのチャンスを逃してしまいます。
「私は知っている」「人に認められたい・存在感を示したい」「馬鹿だと思われたくない」
そんなささやかな、我欲の為にチャンスを逃しているのです。
しかし・・その事に気づけばエゴの自己主張は消えて行きます。
気づけば、「俺って・・・小さい」「私って・・はずかしい!」
こうなれば、自分を知る事、自分を発見する事、自分に気づく事、自分を取り戻す事、本来の自分自身へと帰る事になります。
その結果至る状態とは、「自分が最も自分らしくなる」という事です。
源から分離した瞬間の本来のあり方に戻るという事です。
多くの人々は、真理を得た時の状態を錯覚している場合があります。
見えないモノが見えるようになることであるとか、聞こえない言葉が聞こえるようになるとか、何か奇跡が起こせるようになるとか、そんな特殊な能力を身につける事だと勘違いしています。
つまり、人はそんな形を目指し求めます。
勿論、見えないものが見えるようになる。
ある範囲での奇跡に近い事象は、起こす事が出来ます。
アストラル体の自分を体験し、肉体の自分を見る事も出来ます。
「自分を知るだけで真理が分かるなんて、そんな馬鹿な」という思いが、沸いて来るとしたら、それがエゴのつぶやきである事に気づいて下さい。
ただ内側を探して下さい、丹念に自分の考え方を、自分の信念を、自分が反発する言葉を、自分が正しいとする概念を、自分がおかしいとする概念を。
全ては、自分の今の状況の中に現れていますから。
他人の語る一言一言に反応している自我を眺めて下さい。
他人に掛ける迷惑とは何でしょうか?
「こうしたらあの人はこう思うだろう」と考えます。
それは、自分の考え方に過ぎません。
多くの場合、他人は必ずしも自分と同じようには考えません。
「こう思われたらどうしよう、そう思われたくない」と、あなたの思いがあなたの行動にブレーキをかけています。
ほとんどの場合、あなたは自分を満足させたいのです。
あなたを縛っているのは、こう思われたくないというあなたの思いです。
あなたが、「我が・まま」をした場合、本当に社会は困るのでしょうか。
ここを疑ってみてはどうでしょうか。
親の意見をそのまま受け入れているだけではないでしょうか。
親の都合を受け入れさせられているだけではないでしょうか。
社会の規範をそのまま受容しているだけではないでしょうか。
社会との摩擦を恐れるために、あなたはどれほど多くのエネルギーを消耗していると思いますか。
神が宇宙に遍在するとすれば、神のいない所はないという事です。
人が人を傷つける事など不可能な事なのです。
自分を傷つける事が出来るのは、自分だけなのです。
それ以外にはありません。
起きる事に身をまかせ、逆らわず、淡々と自分の思いを観察し続けて下さい。
それだけでいいのです。
そんな時、自分の何かを変えようとしないで下さい。
ましてや人を変えようとしてはなりません。
今を生きて下さい。
イライラした時があるならばそのままイライラの中にいて下さい。
大切なのは、自分を使おうとしないことです。
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お願い致します。
真とは?
「違う登山口から登ってもたどり着くのは同じ山頂である。」
★地球人類全てが1日も早く目覚めますように★
★世界人類が平和でありますように★
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今朝の東京では、日暈(ひがさ、にちうん)が出ましたが、ご覧になったでしょうか?

私がまだ20歳の頃に宇宙からの黙示録の著者である故渡辺大起さんは、この日暈の事を「天のしるし」とおっしゃっていました。
今では、日暈を見てもあれは暈は雲を形成する氷晶がプリズムとして働き、太陽や月からの光が氷晶の中を通り抜ける際に屈折されることで発生するんだと普通に説明する人がほとんどなのでしょうが、おそらく悠久の日本人であれば「これは神の御技」だと単純に喜んだはずです。
日暈1つとっても、現代では失われたものが多い事に気付かされますね。
この現象を単に天体現象として捉えるのか?もしくは、悠久の日本人の様に捉えたのでは精神波動に与える影響は雲泥の差があるのです。
私事ですが、昨夜は久しぶりに心の友5人と再会しました。
徳島から来たK大佐・愛媛から来た伝統工芸家のM夫妻・名古屋から来たA宮司とS和尚の5人です。
当初は、徳島のK大佐だけ会う予定だったのですが、他の4人も急遽仕事や所用で全員東京に来る事になり5人揃ったのです。
そして、朝に出た「日暈」。
まさに、5人と再会出来た事を天に祝福されている様な感じでした。
みなさんは、前日前夜、又は今日に天のしるしが出された事と結びつく出来事はありましたか?
私達日本人は、悠久の頃から神の御技である自然現象に対して、もっと純粋でスピリチュアルに捉えていたはずです。
お忘れの方は、是非思い出して見て下さい。
貴方のDNAが目を覚ますはずです。
さて、前記事の続きです。
エゴイズムの独り言(心のつぶやき)は、自分の本質を知る機会を失う事があります。
その想念が、何処から来ているのかが分からない時には尚更です。
「そんな事はわかっています。」と言っても本質はなかなか見えていません。
自問してみましょう。
そんな事はわかっていると、自分が言える理由は何でしょうか?
それは、自己満足・自我満足に過ぎません。
人は、小さな自己満足と引き換えに大きな気づきのチャンスを逃してしまいます。
「私は知っている」「人に認められたい・存在感を示したい」「馬鹿だと思われたくない」
そんなささやかな、我欲の為にチャンスを逃しているのです。
しかし・・その事に気づけばエゴの自己主張は消えて行きます。
気づけば、「俺って・・・小さい」「私って・・はずかしい!」
こうなれば、自分を知る事、自分を発見する事、自分に気づく事、自分を取り戻す事、本来の自分自身へと帰る事になります。
その結果至る状態とは、「自分が最も自分らしくなる」という事です。
源から分離した瞬間の本来のあり方に戻るという事です。
多くの人々は、真理を得た時の状態を錯覚している場合があります。
見えないモノが見えるようになることであるとか、聞こえない言葉が聞こえるようになるとか、何か奇跡が起こせるようになるとか、そんな特殊な能力を身につける事だと勘違いしています。
つまり、人はそんな形を目指し求めます。
勿論、見えないものが見えるようになる。
ある範囲での奇跡に近い事象は、起こす事が出来ます。
アストラル体の自分を体験し、肉体の自分を見る事も出来ます。
「自分を知るだけで真理が分かるなんて、そんな馬鹿な」という思いが、沸いて来るとしたら、それがエゴのつぶやきである事に気づいて下さい。
ただ内側を探して下さい、丹念に自分の考え方を、自分の信念を、自分が反発する言葉を、自分が正しいとする概念を、自分がおかしいとする概念を。
全ては、自分の今の状況の中に現れていますから。
他人の語る一言一言に反応している自我を眺めて下さい。
他人に掛ける迷惑とは何でしょうか?
「こうしたらあの人はこう思うだろう」と考えます。
それは、自分の考え方に過ぎません。
多くの場合、他人は必ずしも自分と同じようには考えません。
「こう思われたらどうしよう、そう思われたくない」と、あなたの思いがあなたの行動にブレーキをかけています。
ほとんどの場合、あなたは自分を満足させたいのです。
あなたを縛っているのは、こう思われたくないというあなたの思いです。
あなたが、「我が・まま」をした場合、本当に社会は困るのでしょうか。
ここを疑ってみてはどうでしょうか。
親の意見をそのまま受け入れているだけではないでしょうか。
親の都合を受け入れさせられているだけではないでしょうか。
社会の規範をそのまま受容しているだけではないでしょうか。
社会との摩擦を恐れるために、あなたはどれほど多くのエネルギーを消耗していると思いますか。
神が宇宙に遍在するとすれば、神のいない所はないという事です。
人が人を傷つける事など不可能な事なのです。
自分を傷つける事が出来るのは、自分だけなのです。
それ以外にはありません。
起きる事に身をまかせ、逆らわず、淡々と自分の思いを観察し続けて下さい。
それだけでいいのです。
そんな時、自分の何かを変えようとしないで下さい。
ましてや人を変えようとしてはなりません。
今を生きて下さい。
イライラした時があるならばそのままイライラの中にいて下さい。
大切なのは、自分を使おうとしないことです。
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- 2013/01/31 20:42
- :終末と再生