Sunday, January 20, 2013

筒粥神事1を補足/素朴な真善美の遊び思考と温故知新に在り/筒粥神事とミロクの世2



藤本 玄(はる)様、高揚させて頂ける記事に感謝いたします。
m(__)m

最章にタイプインしても、転載記事の後には、どうしたことか無理なのです。
初めに、知識不足ながら思うがままを、感想として書かせていただきます。



【感想と遊び思考/志向】

単純に9の三分の一が3になることを喜ぶ程度の自分ですが、9の三分の一は3であり、6を真ん中にして_みろく=369である_のも面白いですね。

それに、裏表の世界、天と地、地球の内外、人の心と体、などと見れば_369:963_または369=963の鏡を=と見た互いを認識して修正しあう対象_そして三位一体という3と見れば3次元でのそれと、5次元を超えた6次元のそれ、9次元ではトリプルになるそれがあると遊べました。


今までは三(3)次元の三位一体という宗教の罠にはまった意識でのことで、五(5)次元を超えた六(6)次元では完全に369の裏との合致が生されるので六(6)次元に入るのが道理なのですが
つまり互いに通じ合い認め合い///これは地球人の覚醒という五(5)次元への上昇到達により、宇宙の他生命と意識が融合合致した後の六(6)次元での三位一体とも思うのです。

それは三角形と三角形=▽と△の六(6)角形という六(6)芒星と亀甲紋を生み出します。
さらに聖書的な言い方をするなら、六翼のセラフィムを連想します。

ケルビムは警護する戦士のような天使であり、十戒が刻まれた石版を入れた(神輿の形の原型である)聖櫃/せいひつ/アーク(契約の箱/ヘブライ語: ארון הברית‎ aron habrit、英: Ark of the Covenant )の上に配されたのでした。翼で守るそうです。


そして、六芒星の核には7次元目の1つの核が治まる。この核が、聖書のヤハウエ神のことなのだろうと云えるのは、伊勢ー白山道ブログ記事の響きです。__記憶違いでなければ、です。

三(3)次元の△には四(4)次元目の核が在る。なければ三次元は形成されないのですが
今までは、この4次元モノが、人類をどうしても三(3)次元や三次元半ぐらいのままの意識( カレイドスクープやある方々式で言えばB層となる )に縛って奴隷にしておきたかった、
世界の人類の核=神に成りたかったので策謀を働いてきた、犠牲と生け贄を求めた、ということが理解できるはずです。

そのように、四(4)次元は、五(5)次元という宇宙連盟や連合、そして宇宙法が核になって存在可能だということも理解できます。

つまり核とは消滅と生存を任せられているとも云えるし、根源宇宙神の厳命は外さないからこそ核として活動も援助も可能だと理解できます。

四次元モノ等の集団は宇宙の法から外れた。つまり宇宙軌道の狂いをも生み出すところだったと思います。
今後は、破滅か悔い改めて光を求めるかの2つに1つしかありません。


とにかく、369/みろくの意図は一律ではないようです。人として5、6と進化して生きていけば、九(9)次元へと響かせる順番が巡ってくる。

つまり九(9)次元の霊としての存在が試練や厳格な干渉を与えなくなる、言い方を変えれば安堵してくださると、そう思えてきます。これは、あくまでも自分の思いにすぎません。
そして九(9)次元/位階9とは、八(8)角形のオクタゴンの中の1つの核であるに違いありません。
では、888とはギリシャ語のイエス キリストを数値化した数であるというのも不思議はなくなりますが、あくまでも自分にとってはそうであるということです。


温故知新に在り•の記事には、必ず3で割り切れる数ならば最後には153に成ると明言されています。888も最後には153に帰依するそうです。愉快です!


自分は三並びの111から999が好きで仕方がない時期を通りました。
888を、勝手ながら天地を結ぶ姿の8であり、888を大宇宙三位一体として見ました。

永劫なる途切れることのない循環や宇宙軌道、そして人体宇宙の上半身と下半身とも見ました。8の交差する点は帯とも思えて、人体では横隔膜、宇宙ならば銀河です。


  1. Images for 銀河は天の川




ここで思うのは、8にも左回りで8を描くのと右回りで描くのと、または上下に丸を2つ描いて8になるという、三通りあるのが愉快です。

勝手な夢想では、並行して2つの宇宙が存在するのです。エネルギーが左巻きに軌道をもつか、右巻きの軌道をもつか___という___宇宙も同じく、心と体の内外と裏表と陰陽で表現可能な実態なのではないか、という展開です。

地球は意外や、2つの宇宙を映す鏡なのかもしれません。水の惑星。水鏡。どうですか、こんな奇妙な発想は? 大笑い


さて、153ですが、1、5、3と足せば9なんですねぇ。

ぜひ、転載した温故知新に在り/藤本玄さんの記事を読んでください。



_URLとタイトルが1つになっています。クリックすれば直結します_

筒粥神事とミロクの世
筒粥神事2013続き

今年と去年の筒粥神事の結果は、両年ともに3分6厘となりますが、この3分6厘の数字だけをとれば36となります。

この36と言う数字は、トライアングルナンバーとか、三角数と呼ばれている数字になります。

三角数とは、三角数は必ず3で割り切れる数か、もしくは9で割ると1余る数のどちらかの数を言います。

もっと簡単に言えば、ボーリングのピンを思い浮かべて下さい。

1列目には1本、2列目には2本3列目には3本4列目に4本で合計10本になりますが、これらの数字は全て3で割り切れるか、もしくは3又は9で割ると1余る事が分かると思います。

もし、ボーリングのピンに5列目を作るとピンの合計は15本となるわけですから、3で割り切れる事になります。

そのままどんどんピンの列と本数を足して行くと、その合計数は全て三角数になります。

実は、この三角数ですが聖書には重要な数字なのです。

聖書のヨハネの福音書21・3~11に、復活後の主イエスが弟子たちに命じて、ガリラヤ湖で網を張らせ、そのとき「153匹」の魚が網にかかったと記されていますが、これも三角数です。

「シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』彼らは言った。

『私たちもいっしょに行きましょう。』彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。

そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。

すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。

それは153匹の大きな魚でいっぱいであった。

それほど多かったけれども、網は破れなかった」

そして、153と言う数字は、1~17までを全部足した数です。

1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17=153

1から始まる三角数で153と言う数字は、17番目の数字になります。

そして、この153ですが三角数の中でも特殊な一面を持っていて、逆から351と書いても三角数になります。

更に、この153数ですがこの数字は3分の1を代表する数字なのです。

どう言う事かと言うと、まず153の各桁の数のそれぞれを3乗して足してみます。

153→(1の3乗)+(5の3乗)+(3の乗)=(1×1×1)+(5×5×5)+(3×3×3)=1+125+27=153

更に、135、513、351と各桁の数字を入れ替えた場合を見てみます。

135 → (1の3乗)+(3の3乗)+(5の3乗)=153

513 → (5の3乗)+(1の3乗)+(3の3乗)=153

351 → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗)=153

やはり、153になるのです。

つまり、どんな数であっても3で割り切れる数は、必ず153に戻るのですから、すべての数の3分の1が、この作業をすると必ず153になるのです。

つまり、153と言う数字は、すべての数字の3分の1を代表する数字であり、三角数の代表の様な数字なのです。

ゼカリヤ書 13:8-9
「全地はこうなる。──主の御告げ。──その3分の2は断たれ、死に絶え、3分の1がそこに残る。

わたしは、その3分の1を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。

彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民。』と言い、彼らは『主は私の神。』と言う」

最終的に、神の救いに入る人々の数は、全人類の3分の1なのである。あとの3分の2は、神への信仰を拒むために、自分の罪の中で滅びるであろう。」

マタイ4:19
「イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。

つまり、ここに書いてある網にかかった153匹の魚の意味は、神を信じて最終的に救われる人々の事を指していたのです。

ヨハネの黙示録 9:15

「すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。」

筒粥神事の結果である3分6厘=36が三角数であり、昨年と今年共に36と言う数字を神がお示しになったと言う事は、一体どう言うことなのでしょうか?

36と言えば「ミロク」とも読めますね。



筒粥神事とミロクの世2


筒粥神事の結果である3分6厘=36が三角数であり三角数が3分の1を表す数字であるなら、神がお示しになった36が2012年と2013年の両年共に3分の1数を告げている事になります。

つまり、2012年・3分の1であり2013年・3分の1となり両年を足すと3分の2になるわけです。

そうすると、3分の3にする為には、あと3分の1が必要になるわけです。

今は年が明けたばかりですから、2014年の筒粥神事の結果は分かりませんが、来年3分6厘と言う結果が出ると、3分の3となり三角数の成就となります。

私のブログ読者の方から、三角数がいまひとつ分からないとメールを頂きましたので、補足させて頂きますね。

それから、温故知新2012年・アセンションに向かっての時の記事の書き方と、このブログの書き方が変わったと言う事も書いてくれていましたが、これには実は訳があります。

それは、大変おこがましく、大変に生意気なのですが、記事の書き方が聖書っぽくなってしまうのです。

どう言う事かと言いますと、聖書は複数の人間が各章ごとに神の預言を書き残したのに対して、私は1人でありながら複数の人間が内在していて記事を書いているような感じなのです。

しかし、このブログの目的は聖書同様に一貫しているのです。

何が一貫しているのかと言うと、人類の終末と言う神が伝えてくれた事に対して、いかに「そなえれば良いのか」と言う事です。

つまり、人類の終末と再生に対して「そなえよつねに」の精神です。

ですので、以前よりも読みにくい点があるとは思いますが、各記事が1つのパズルの1ピースであり、1ピース1ピースが集まってくれば記事の内容が深くご理解されて行くと思いますので、毎日欠かさず(笑)読んで頂けると嬉しいです。

三角数は、3で割り切れる数であれば最後は必ず153になると言う意味です。

99   → (9の3乗)+(9の3乗)=1458
1458 → (1の3乗)+(4の3乗)+(5の3乗)+(8の3乗)=702
702  → (7の3乗)+(0の3乗)+(2の3乗)=351
351  → (3の3乗)+(5の3乗)+(1の3乗)=153

試しに3で割り切れるどんな数でも上記の様に作業をしてみて下さい。

必ず153に帰依します。

更に、ここで付け加えておきますが、旧約聖書ヨブ2・1に記されているヘブル語で神の子たちをヘブル語のアルファベット数値で表すとやはり153になったり、ギリシャ語でイエス・キリストを数値化すると888となり、これも又最後は153に帰依するのです。

ゼカリヤ書 13:8に「全地はこうなる。──主の御告げ。──その3分の2は断たれ、死に絶え、3分の1がそこに残る。」つまり、最終的に、神の救いに入る人々の数は、全人類の3分の1なのである。あとの3分の2は、神への信仰を拒むために、自分の罪の中で滅びるであろう。と記されていますが、もし2013年2月14日までに二ビルによる第1のシナリオ通りに地球が大異変に見舞われる事になると、昨年と今年に断たれる3分の2の人間が決まったという事を筒粥神事が示したと言えるのです。

そうなれば、今年の年末から来年2014年のはじめに第2のシナリオが起き、残りの3分の1の人間が決定し新たな地球を再建する事になります。

第1・2と2つのシナリオについては、2つのシナリオの中でマタイの福音書・イエスと弟子との問答と聖書の引用部分に相当する出来事が二ビルによって引き起こされたり、そなえよつねに2の中で書いた、新約聖書 ヨハネの黙示録 6章に書いてある様な出来事が起きれば成立するという事です。

そうなれば、2014年に地球はプラネタリークリーニングを迎えるという事になります。
☆プラネタリークリーニングとは
地軸の急激な変動により、地軸が傾き陸が海となり、海が陸となるような状況で避難出来るような場所など一切なくなる。

勿論、その際には宇宙船が天空に満つるはずです。

ミロク(36)の世がやって来ると言う事はつまり、残される3分の1の人間が神によって決められ、プラネタリークリーニングが起こる事を言っているのです。

しかし、もし二ビルによる第1のシナリオが始まらなければ、やはり同様に三角数を使って行くと次の第1のシナリオの開始が2014年になり、第2のシナリオが2015年になり、2015年末から2016年にプラネタリークリーニングの年になると言う検証が出来ます。

これについては、次回に書いて行きます。

追記
前回と今回の記事をお読みになって「日月神示」と聖書に見られる関連性に気付かれましたか?

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「違う登山口から登ってもたどり着くのは同じ山頂である。」


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