十種神宝を使った鎮魂祭の謎
2012-08-09
『日月神示』の「至恩之巻(第十六帖)」に、以下の一節があります。「二二(ふじ)と申すのは、天照大神様の十種神宝に「ヽ」を入れることであるぞ。これが一厘の仕組み。二二となるであろう。これが富士の仕組み。七から八から鳴り成りて「十」となる仕組み、なりなりあまるナルトの仕組み。富士と鳴門の仕組みいよいよぞ。これが判りたならば、どんな人民でも腰をぬかすぞ」
十種神宝(とくさのかんだから)とは、『先代旧事本紀』の「天孫本紀」の記載によるもので、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天神御祖(あまつかみみおや=国常立尊)から授けられた神宝であるとされています。なお、『先代旧事本紀』には「天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)」と書かれているそうです。
十種神宝は十種類の神宝から構成されています。その内訳としては・・・
羸都鏡(おきつかがみ)・邊都鏡(へつかがみ)・八握劔(やつかのつるぎ)・生玉(いくたま)・死反玉(まかるがえしのたま)・足玉(たるたま)・道反玉(ちがえしのたま)・蛇比禮(おろちのひれ)・蜂比禮(はちのひれ)・品物比禮(くさぐさもののひれ)となります。

この神宝を用いて鎮魂祭(みたましずめのまつり)を行うことにより、病み患い、痛み苦しみは全て直り、死んだ人も甦ると言い伝えられています。饒速日命は御祈祷の祖でもあるとされ、特に病気治癒に霊験あらたかな神様として現在でも崇敬されています。

【饒速日命】
饒速日命の諡号を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」としていることから、記紀以前の大和地方の歴史を伝える『ホツマツタエ』に登場してくる男神・天照大神の正体は、饒速日命であったと考えてよいでしょう。よって、上記の神示に登場する「天照大神様」の正体も、饒速日命であったと考えられます。
さらに、十種神宝に「ヽ」を入れるということは、饒速日命を復活させるために、十種神宝を使って「魂」を吹き込むということであり、これは「鎮魂祭」を意味していたということなのです。最終的に、蛇神である饒速日命の復活によって、饒速日命が「二二(ふじ)=不死」となり、「十=ミロクの世」完成となるわけですね。これがイエス・キリスト(こちらも蛇神)の再臨の真意でもあるのです。
ここで、イエス・キリストについて少しお話しましょう。

この神宝を用いて鎮魂祭(みたましずめのまつり)を行うことにより、病み患い、痛み苦しみは全て直り、死んだ人も甦ると言い伝えられています。饒速日命は御祈祷の祖でもあるとされ、特に病気治癒に霊験あらたかな神様として現在でも崇敬されています。

【饒速日命】
饒速日命の諡号を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」としていることから、記紀以前の大和地方の歴史を伝える『ホツマツタエ』に登場してくる男神・天照大神の正体は、饒速日命であったと考えてよいでしょう。よって、上記の神示に登場する「天照大神様」の正体も、饒速日命であったと考えられます。
さらに、十種神宝に「ヽ」を入れるということは、饒速日命を復活させるために、十種神宝を使って「魂」を吹き込むということであり、これは「鎮魂祭」を意味していたということなのです。最終的に、蛇神である饒速日命の復活によって、饒速日命が「二二(ふじ)=不死」となり、「十=ミロクの世」完成となるわけですね。これがイエス・キリスト(こちらも蛇神)の再臨の真意でもあるのです。
ここで、イエス・キリストについて少しお話しましょう。
イエスの淵源を辿っていきますと、古代イスラエル王国におけるユダ族(王家の氏族)にあたるわけですが、その正統後継としての末裔は、ペルシャ、高句麗(高朱蒙)を経て、蘇我氏として日本に入ってきています。
その後、饒速日命を祖とする古代天皇家と婚姻関係を結ぶことになります。武内宿禰(古代天皇家)の末裔にあたる蘇我稲目の妻が、イエスの末裔としてのユダ族にあたるのです。
ちなみに、蘇我稲目の妻はペルシャ人であったという記録が残されているわけですが、さらにその子供が蘇我馬子になります。(我は蘇った馬小屋の子) なお、聖徳太子(廐戸皇子)の母は原始キリスト教徒であったと伝えられていますから、当ブログにて提唱しております「蘇我馬子=聖徳太子説」についての信憑性があろうかというものです。
また、蘇我氏の本拠地でもあった「斑鳩の地」に、今でもペルシャ様式の建造物が数多く残されているのは、ペルシャ人であった母からの影響を強く受けていたためであると考えられます。また、太子自身も、実はゾロアスター教徒であったとも言われています。
よって、蘇我氏の祖を辿っていきますと、古代イスラエル王国の王家・ユダ族のイエス・キリストに辿りつく一方で、日本国の真の皇祖神であられる饒速日命にも行き着くことになるわけです。おそらく、現天皇家にもこの流れが入っているものと考えられますので、現天皇家の祖が饒速日命であることは疑いようがないのです。
ちなみに、蘇我稲目の妻はペルシャ人であったという記録が残されているわけですが、さらにその子供が蘇我馬子になります。(我は蘇った馬小屋の子) なお、聖徳太子(廐戸皇子)の母は原始キリスト教徒であったと伝えられていますから、当ブログにて提唱しております「蘇我馬子=聖徳太子説」についての信憑性があろうかというものです。
また、蘇我氏の本拠地でもあった「斑鳩の地」に、今でもペルシャ様式の建造物が数多く残されているのは、ペルシャ人であった母からの影響を強く受けていたためであると考えられます。また、太子自身も、実はゾロアスター教徒であったとも言われています。
よって、蘇我氏の祖を辿っていきますと、古代イスラエル王国の王家・ユダ族のイエス・キリストに辿りつく一方で、日本国の真の皇祖神であられる饒速日命にも行き着くことになるわけです。おそらく、現天皇家にもこの流れが入っているものと考えられますので、現天皇家の祖が饒速日命であることは疑いようがないのです。
「16」という数字は、言うまでもなく菊の花びらの数を表しています。しかしよく見ると、各花びらの背後には、同じ数だけの花びらが見え隠れしていることが分かると思います。こちらの数を合計しますと、「32」となります。
「32」という数字は、一体何を表しているのでしょうか?
「32」という数字は、一体何を表しているのでしょうか?
『先代旧事本紀』によりますと、かつて、父・スサノオの命によって九州を治めていた饒速日命が、大和の地(奈良県桜井市周辺)へ遠征する際に、従者が32人いたと言われています。(その他、25の物部(軍隊)がいたそうです。)
現在の皇室の紋章は、この時の従者32人を称えるために、花びらとして菊花紋に採り入れているのではないでしょうか?もしそうだとしますと、この紋の中心に存在する円は、必然的に饒速日命を表しているということになるかと思います。
また、饒速日命の命日に当たる「11月22日」には、現在でも、皇室行事として「鎮魂祭」が行われているそうです。これは、紛れもなく、饒速日命の魂を鎮めるために行われてきたのです。
さらに、明治天皇以前の歴代天皇は、一度も伊勢神宮へ参拝に訪れたことがなかったそうです。これは、藤原不比等の時に、日本の皇祖神が男神・天照大神(饒速日命:古代天皇家)から、女神・天照大神(神功皇后:新羅系)へと入れ替わってしまったことへの、憤りメッセージであったように思うのですが、いかがでしょうか?
現在の皇室の紋章は、この時の従者32人を称えるために、花びらとして菊花紋に採り入れているのではないでしょうか?もしそうだとしますと、この紋の中心に存在する円は、必然的に饒速日命を表しているということになるかと思います。
また、饒速日命の命日に当たる「11月22日」には、現在でも、皇室行事として「鎮魂祭」が行われているそうです。これは、紛れもなく、饒速日命の魂を鎮めるために行われてきたのです。
さらに、明治天皇以前の歴代天皇は、一度も伊勢神宮へ参拝に訪れたことがなかったそうです。これは、藤原不比等の時に、日本の皇祖神が男神・天照大神(饒速日命:古代天皇家)から、女神・天照大神(神功皇后:新羅系)へと入れ替わってしまったことへの、憤りメッセージであったように思うのですが、いかがでしょうか?
最後に・・・蛇神・饒速日命にちなんで、面白いブレスレットをご紹介しましょう。

蛇柄ブレスレットの詳細はこちら
十種神宝の代わりとして、饒速日命の鎮魂の儀式の際に重宝しそうですね。この蛇柄ブレスレットを紹介してくれたのが、石屋の大久保さんです。以前、ワンダラーは転生前に目印として「ホクロ」を付けてくるという記事を載せたところ、以下のセクシーショットを送ってきてくれました。(「ワンダラーの使命」参照)

【オリオン座の三つ星】
大久保さんは、オリオン経由でこの地球に転生されてきたそうです。ぜひ皆さんも、三軒茶屋にお立ちよりの際は、ワンダラー・大久保さんに会いに行ってみて下さい。(完全予約制のようですよ。)
【参照サイト】千田家家系図
【参考文献】
![]() | 失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス) (1996/12) 飛鳥 昭雄、三神 たける 他 |
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